国内テレビ番組(TBSテレビ ぶっこみジャパニーズ他) をはじめとする各メディアはもちろんのこと、今世界中から注目される、寿司職人・小川洋利氏。国際すし知識認証協会を立ち上げから参画し理事を務め、地道な活動を積み重ねる。寿司の知識・品質向上をめざし、世界中を巡りながら寿司指導に尽力する。今回、アーティストインタビューVol.17にて、寿司職人小川洋利氏にお話を伺った。
【アーティストインタビュー小川洋利さんテレビ出演】
ぶっこみジャパニーズ第9弾 4時間スペシャル!TBSテレビ・10/3 (火) 19:00 ~ より放送!番組URLはこちら ↓
先月8月23日~25日の3日間、東京ビッグサイトで開催された、シーフードショー内World SUSHI CUP 2017(農林水産省・国際すし知識認証協会 主催)では、小川氏は審査員を務めた。世界15か国・30人の外国人選手が(東京ビッグサイト・シーフードショー内)、大会で火花を散らした。
― 寿司職人として、私には私の役割がある。そう信じて進んでいます。一度決めたら立ち止まらない。辞めず、諦めず、ただまっすぐに進むだけです。― (小川洋利)
小川洋利氏プロフィール
一般社団法人国際すし知識認証協会 [理事・事務局長] / 全国すし連 すし知識 海外認証制度委員会 [認定講師] /
農林水産省任命 日本食普及の親善大使 / 千葉県すし商生活衛生同業組合 [常任理事] /
千葉県すし商生活衛生同業組合 [技術委員長] / 寿司・ 刺身上達法 [代表]
1991年 大阪あべの辻調理師専門学校卒業後東京の老舗にて住み込み修行。その後、数々の寿司店で修業。1998年、自分の腕を世界で試したく再度、オーストラリア(シドニー)に渡り全日空ホテルシドニーに入社。2003年、東京 に寿司屋 を開業(小川寿司)。2006年、2店舗目開店。2012年、安全で美味しい日本のすし文化を全世界に広めたいと純粋な気持ちで、すし指導員として【すし知識海外認証制度認定講師】の道へ進む。2013年、すし調理研究家として活動、小川 洋利[監修] 寿司 ・刺身 上達法 DVD発売 。2014年、一般社団法人国際すし協会 理事に就任 2017年、農林水産省より日本食普及の親善大使に任命。世界各国で セミナー講師 、すし教室、現場指導、テレビ出演、講習会、試験などを務める。
アーティストインタビューVol.17 世界のカリスマすし職人・小川洋利氏インタビュー 「世界中の人々に、寿司で笑顔と元気を届けたい。」(全3編)
第1編 剣道に生きた少年時代
公務員の両親のもと3兄弟の末っ子として、小川洋利氏は千葉県に生まれた。
厳格な家庭に育ち、姉も兄も真面目で勉強もよくできた。
それに引き替え、幼いころの洋利少年は、いたずら好きで両親に始終怒られていたという。
自宅周辺のピーナッツ畑に入り込んで走り回り、畑を荒らして父親に朝まで叱られたこともあった。
その類のエピソードは尽きない。
悪いことをする度にこっぴどく厳しく叱られる。だが洋利少年のやんちゃはおさまらなかった。
「特に取り柄もなく、自信を持てるものがなかったんだと思います。」
小川氏は幼い頃の自分をそう振り返る。
そんな洋利少年にも、夢中になれるものが出来た。
剣道である。
先に剣道を習っていた3つ上の兄が、防具を新調することになり、兄のお古が使えるということで、
母親にこう言われたのがきっかけだった。
―「落ち着きないからあんたも剣道やりなさい。」―
兄のように、やりたくて始めたわけではない。
初めのうちこそは、母親にいわれるがまま道場に行き、遊び半分で剣道をやっていた。
「どちらかというと、稽古の後に友達と遊ぶことが楽しみで、通っていたようなものでした。」
しかし、そんな洋利少年だが、気が付くと剣道を1回も休むことなく通い続け、皆勤賞をもらうまでになっていた。
生れて初めて賞状をもらったのがこの時だった。
そして中学に入学し、洋利少年は剣道部に入部した。
その時はまだ剣道に目覚める前で、特に続けたかったわけでもなかった。
ただ自分から剣道を取ったら、それこそ「取り柄がなくなってしまう。」そう感じた。
中学生ともなると、やんちゃぶりもだいぶ落ちついてはいたが、勉強の方はてんでダメだった。
剣道部の顧問の先生は、厳しい事で有名で、剣道に対する情熱もひとしお熱かった。
小学校の時とは180度異なる厳しい環境に身を置くことになり、
朝練から放課後の練習と、毎日剣道漬けの生活が始まった。
何度も逃げ出しては顧問の先生に連れ戻され、いやいや稽古をした。
しかし1年生の夏には、洋利少年は、初めての剣道の試合の中で、いきなり結果を出した。
続けざまに3勝した。
ちなみに、小学校の時はほとんど勝ったことはなかったという。
「本当に嬉しかったのを覚えています。勝つ喜びを知った私は、そこから剣道に夢中になりました。
朝5時に起きて警察の機動隊で稽古し、学校の部活で稽古し、夜は道場に行って稽古する。
そんな毎日を過ごすようになりました。」
どっぷり剣道の生活につかり、結果はさらについてくるようになった。
「出場する大会ほとんどが優勝でした。学校の集会の表彰式では1度にメダルを4つぶら下げたこともありました。」
「今の時代で言い変えるなら『剣道オタク』、『勉強できない君』ですね。
因みにお調子者で成績はクラスで下から5番以内を常にキープしていました。」
そんな洋利少年は、剣道の推薦で県内の高校に進学することになる。
高校時代の挫折・・・そしてシドニーへ
高校に入学しても洋利少年の剣道に対する勢いは止まらず、1年生からすぐにレギュラーに選ばれ、稽古に励む毎日を過ごしていた。
しかし、そんな時、事故が起きた・・・・
「高校2年生の夏です。稽古中に踏み込んだ瞬間、腰に激痛が走りました。
病院に通いリハビリをする日々。しかし腰痛は一向に良くならず、思うように動けなくなると、レギュラーから外され、そのうち勝つ喜びも、剣道への情熱も失うようになっていました。
心に穴が空いてしまうというのは、ああいうことを言うんですね。高校3年生の時には荒れた生活に陥っていました。」
勝つ事こそが楽しみだった自分を失い、初めての挫折を経験したと、小川氏は語る。
剣道から自然に遠のき、学校が終わってからはバイトに行く日々になった。
進路も決まらず焦りもあった。そんなある日、バイト先の先輩から、ワーキングホリデービザの話を聞いた。
「特にやりたいこともなく、また今の環境から逃げ出したい気持ちもありました。親に相談したところ、『外の世界を見るのも勉強だ。』と言ってもらえ、海外に行くことを決めました。
早速ワーキング・ホリデーのパンフレットを手にし、ぱっと開いたページの写真がちょうどオーストラリアのシドニーで、それがとても綺麗に思え、特に深く考えたり調べたりするわけでもなく、卒業と同時にシドニーへ渡りました。」
※)ワーキング・ホリデー制度とは、二国・地域間の取決め等に基づき、各々が相手国・地域の青少年に対し、休暇目的の入国及び滞在期間中における旅行・滞在資金を補うための付随的な就労を認める制度です。各々の国・地域が,その文化や一般的な生活様式を理解する機会を相手国・地域の青少年に対して提供し、二国・地域間の相互理解を深めることを趣旨とします。(外務省 ワーキングホリデービザ説明より)
寿司職人への道を決定づけたシドニーでの体験、その後の寿司人生
料理人への道
シドニーに着いてからは何もかもが新鮮に見えました。
綺麗なビーチ、クラブ、日本人じゃない人々。オーストラリアはお酒が18歳から飲めるし毎日がパラダイス!!!
・・・残念ながら、そんな海外生活の楽しさは、はじめの本のひとときで、長くは続きませんでした。3か月もしないうちに、お金が底を尽き、仕事しなくてはならなくなったのです。
当時18歳の私は、英語が全く話せず、面接に行っては落とされる、という繰り返しでした。
とうとう帰りの飛行機代の分のお金まで使ってしまい、公園で野宿したりもしました。
途方に暮れ絶望の中で、奇跡的に1軒の日本食店(そば屋)調理補助の仕事が決まりました。
オーナーはカールさんというドイツ人の職人で、日本人の奥さんと一緒に、定年退職してからお店を立ち上げたということでした。
ドイツ人から日本食を教わるというのは、正直複雑な気持ちでしたが、時給は安くとも賄いは食べられる・・とりあえず命は繋がり一安心です。
朝9時30分から夜10時30分過ぎまで働き、休みは週1回。
仕事の毎日で、気が付いたら遊びもしなくなっていました。
勤務時間も長く仕事も厳しかったので辞めてく人も多かった店でしたが、むしろ私には厳しいというより楽しいという気持ちの方が勝っていました。
シドニーに来て夢が見つかりました。
『調理師』になるという夢です。
日本に帰国し、すぐに大阪にある、辻調理師専門学校に入学いたしました。
家賃1万5000円の風呂なしトイレ共同のアパートを借りました。
学校が終わってから料理屋へ、休日・祭日は酒屋の配達。そしてビル掃除。
時には的屋のバイトをしながら調理師学校に通い、卒業とともに東京の大手の寿司屋へ住み込みで入りました。
なぜ寿司屋を選んだか・・・。
それは『将太の寿司』というマンガの影響を受けたからです。『将太の寿司』の主人公、将太と自分を重ねて、夢と希望を持って、寿司の世界に入りました。
しかし、現実は、そんなに甘いものではありませんでした。
朝早くから夜中まで働きました。過酷でした。
掃除、皿洗い、ホール、そして夜のお付き合い。
業界でいうところの、「追い回し」です。
早く仕事を覚えたい一心でひたすら頑張りましたが、この店での体験は本当にひどいものがありました。
暴力は当たり前で、今の時代だったら大問題になるような、人に言えないほどのイジメを受けました。それでも仕事を覚えたい一心で我慢し1年が過ぎました。
イジメで不安とストレスの毎日・・・
何度も辞めようと思いました。マンガとは違う。現実はひど過ぎる・・・と。
自分には無理だと思うほどにボロボロになり、限界を感じた時、先輩から違う寿司屋の親方を紹介されました。
結局は、その親方に誘っていただき、もう一度頑張ってみようと。そう決意し、店を移りました。
ここでの仕事も、掃除、皿洗い、出前、桶回収と追い回しと、やることは一緒の日々でした。
ですが、前の店とは全く違う厳しさで頑張れました。
何というのか。愛情を感じるというか・・・。
その後、数々の寿司店で修行し8年目には私を調理の世界へ導いてくれたゆかりの地、オーストラリアのシドニーへ再び戻ることになりました。
シドニーでBest Japaneseを度々受賞する5星ホテルに入社し高級日本食店で寿司を握りました。そこで5年あまり働いた後、会社を退職し日本に帰国しました。
日本に戻ってもう一度自分を見つめなおし自分でお店をやろうと決めました。
老若男女問わず沢山の方に私のお寿司を食べて喜んでもらいたいと考えた結果小さいお子様やご年配の方、お店に足を運ぶのが困難な方にも自宅で安く本格的な美味しいお寿司を食べて頂けるよう、出前、お持ち帰り専門店を出すことに決めました。
退職金を頭金にして、1000万円以上の借金を抱えながら、お客様に喜んでもらいたい一心で頑張りました。お陰様で借金は3年で返済。4年目に会社設立。
6年後にはカウンター、座敷席のお店へ移転し、直接お客様の声を聞きながらより一層、お客様に喜んでもらいたい、寿司の素晴らしさを知っていただきたいという想いで励みました。
お店は大繁盛でしたが、もっと多くの人に寿司を通じて喜んでもらいたいとずっと思っておりました。
世界中に寿司の素晴らしさを広げたい。そして平成24年4月にお店を売ることを決断し、新たな道を歩みはじめました。
自分で寿司の講習会を開催したり、寿司のDVDを作成し販売をする中で、以前武者修行をしていた時のお店、
千葉の「さかえ寿司」の親方から海外で教えてみないかと連絡を頂き海外活動をきっかけに、
国内外の寿司調理育成の仕事を始めることになりました。
第3編 小川洋利氏インタビュー
今世の中には銃や爆弾、薬物を持ち込む人がいますが、私は世界中に寿司を持ち込み、今を生きる世界中の人々が寿司を通じて笑顔で元気になるような世の中にしたい。
盛島 : なかなか大変なご経験を積まれながら、それでもご自身の信じる道を進んで来られたんですね。現在は海外に出られて、外国人の方にお寿司についての指導、「和食」の普及の活動をされているとの事ですが、詳しく伺ってもよろしいでしょうか。
小川洋利氏 : 2013年、和食がユネスコ無形文化遺産に登録され、世界中が日本食ブームとなっております。
特に寿司は関心度が高く日本人のみならず世界中に当たり前のように寿司が出回っています。
海外の寿司店は推定9万件を超えると言われており、日本食の料理人は20万人とも言われております。
その数は未知数でもありますが。現在その料理人の90%以上が生魚を扱ったことがない人によって調理されているのが現状で、急激な寿司ブームに伴い、見た目重視のSUSHIが先行しているため生魚による食中毒が多発しております。
今までは、海外から見た日本の寿司は、ヘルシーという声がほとんどでしたが、最近では「こわい」という声をよく耳にします。
このように海外では日本が誇る寿司が危険な食べ物と一部で言われている現実があり、すし職人として、日本問わず世界中の人々に安全で美味しい寿司を食べていただきたく日々啓蒙活動に取り組んでいます。
盛島 : 日本食の料理人が、世界中に20万人。寿司店で9万軒。その大半の料理人が生魚を扱う上での十分な知識と技術が備わっていない、ということなんですね。海外での「寿司」の状況はいかがでしょうか?さらに詳しく教えていただいてもよろしいでしょうか。
小川洋利氏 : 私が15年ほど前に海外で働いていたときは、海外で寿司といえば巻物が主流で、シャリを外にして巻く裏巻きや、火の通った天ぷらなどの揚げ物などが「SUSHI」と言われておりました。それが近年、各国で進化を遂げ、チーズやチョコレート、果物など、その国の食材を使い、新しい「SUSHI」として誕生している一方、一部の国では日本の伝統的な江戸前寿司が人気になってきております。
理由としては2011年に公開されたデヴィッド・ゲルブ (David Gelb) 監督によるアメリカ合衆国のドキュメンタリー映画「Jiro Dreams of Sushi」が公開され全米で絶賛を浴び寿司職人の仕事が高く評価され、このあたりから、海外から日本に来て本格寿司を食べ母国に帰り寿司店に行ってみると日本の寿司と全然違う、といった状況が起こってきており、寿司に対するお客様のレベルに現地寿司職人のレベルが追い付いてないといった現状がここ近年増えてきております。
国によっては海外にも日本に劣らず素晴らしい職人や寿司屋もありますがまだまだ現状は少ないといった状況です。
今後オリンピックなどもあり沢山の外国人が来日し日本の寿司を食べ世界中で生魚を食べる習慣が増えていくと思います。
盛島 : 「和食」と「寿司」について。その違いや、海外での認識のされ方についてなど、感じることなどありますか?なお、その上で、「寿司」を通じて伝えて行きたいこと、また日本文化の素晴らしさを、逆に日本人に伝えることなど。ぜひお聞かせください。
小川洋利氏 : 日本では外食に対して、寿司屋、蕎麦屋、鰻屋、居酒屋、ラーメン屋などの専門店も数多く、寿司屋の中にも高級店からお手頃な値段で食べられる寿司とランクが幅広くあり、また出店、お持ち帰り、回転寿司、配達専門などに分かれてもおります。
しかしながら海外では日本料理店として1つにまとめられたお店がほとんどです。
そして、私が海外で最近よく目にするのは「SUSHI」という文字が入った看板です。
面白いことに「SUSHI」だけの看板だけでなく「SUSHI&CAFE」や「SUSHI&PIZZA」、「SUSHI&CURRY」など「SUSHI&・・・」といった看板を見かけます。
海外でSUSHIは世界の共通語でもあり、とてもヘルシーといったイメージや高級といったイメージもあります。
また単価も高いことからビジネスとしてSUSHIを取り入れるお店が増えてきております。
残念ながらユネスコ無形文化遺産である「WASYOKU」はまだまだ海外では認知されておりません。
そんな中私が海外でセミナーをする時に熱く伝えるのが日本の調味料です。
酒、醤油、味醂、味噌、酢など麹菌を使った調味料。
麹菌は日本の国を代表する『国菌』に認定されております。その麹菌を使った調味料は日本の食文化を支えている重要な役割があります。
麹菌に含まれる栄養は美肌を作り、疲労を回復させ、腸を元気にしてくれるなどなどとても健康に良い菌です。
この麹菌を使った調味料を使うから日本食はヘルシーで体に良いんだよと伝えております。調味料なくして日本食は語れないと・・・。
海外に行くたびに思うこと・・・今、私たちは日本に住んでおり、当たり前に生活しておりますが、食に関してはとても豊かだと思います。
勿論、種類も豊富ですが、それだけではなく食材や調味料、調理方法なども盛んでまたコンビニやスーパーでは惣菜が豊富に置かれ、レンジで簡単に作れる料理なども増え、家で自炊しなくても誰でも容易に色々な料理が食べられる時代になりました。
しかしながら日本の食文化を支える食材は、今やその多くが海外から輸入されているのが現状。
日本の食糧自給率は下がる一方で日本の食文化が日本の自然環境から遠いものになりつつあります。
日本人である私たちも日本食について真剣に考えなければいけない時代がきていると思っております。
盛島 : そうなんですね。外国人を含め、多くの方々と関わる毎日をお過ごしかと思います。小川様のモットーなどありますか?
小川洋利氏 : 私のモットーは仕事を通して1番に心がけているのが思い出をつくるということです。寿司の世界に入った時1番に感じたことが俺って不器用だな~て・・・・
アジの3枚おろし教えてもらっても自分だけが上手くおろせないんです。
他の仕込みも自分だけが取り残されたり・・・・俺、この世界向いてないんじゃないかって・・・
悩んだこともありました。
そんな中、当時の親方に言われた一言で勇気がわきました。
「1日ですぐ覚えてしまうのも、3か月苦労してやっと覚えてしまうのも覚えてしまえば同じライン、一緒の事。」
そして、
「こんなもん数こなしてりゃあ誰だって出来るようになるわ~。大事なことは出来るようになるまでの過程だ」って・・・・
辛い思いして覚えれば覚えるほどその仕事に情が湧き一生忘れない思い出ができる。1つ1つの仕事に思い出を作っていけ!!と
どの世界もそうですが上に行けばいくほど若かった時にしていた辛い仕事を忘れてしなくなっていきます。
そして後輩に言う言葉は
「昔、俺も通った道だ、やられてきたんだから」
そう言って、当時の追いまわしのころの気持ちを忘れ、他人事のように言ってみたりします。
あの時、親方に言われた言葉をこれからも持ち続け「思い出を作る」気持ちで
みなさんに教え、自分も教わりお互いに心に残る思い出となり成長できるような仕事をしていきたいと思っております。
盛島 : お寿司を通じて、プロの道を進んでこられた小川さんから、これから何かを目指す人、子どもたち、にメッセージありますか。
小川洋利氏 : 自分がやりたいと思ったら年齢、性別(老若男女)問わずチャレンジしてもらいたいです。どんな逆境にあっても諦めず屈せず自分の持っている一心を貫いてもらいたいです。
「花より団子」ではなく「団子より花」精神。
目先のことにとらわれない事。ことわざで「花より団子」という言葉がありますが「花より団子」とは「花を眺めて楽しむ風流よりも、団子を食べて食欲を満たす実利を選ぶこと」のたとえですが、団子が「お金」で花は「仕事」だとすると目先のお金より自分の仕事に全うする。「きれいに咲いたなあ」(良い仕事ができた)と思うとそれだけで、団子(お金・儲け)はなくても幸せな気分になってしまう。
その気持ちで仕事に取り組んでいくと自然に良い結果は生れてくると思っております。
盛島 : 最後になりますが、お寿司を通じて小川様の伝えたいこと、今後の活動・PRなど、ありましたらぜひお知らせください。
小川洋利氏 : 修業時代は掃除、皿洗い、出前と下場の仕事ばかりでほとんど包丁にさわらせてもらえなかった。冬空の下で蛸のヌメリや穴子のヌメリをとっていた時など粗塩がアカギレにしみ、
寒さで手が動かないときはまな板に平手で2,3べん叩き付け無理やり動かしながら二の腕まで真っ赤にはらして、こんな辛いことがあるのかと思ったときもありました。
イカやエビの皮むきにはじまり、魚の頭をおとし「こけを引く」。
そのあたりまできて、ようやくすし職人としての世界が近づいたと涙が出るほどうれしかったことを思い出します。
親方に良く言われた言葉が「料理はカンのものだという言い方もあるが、下積みの努力があってはじめてうまいものが出来る。
とにかく今は、もがいて悩み、苦しめ。そしてお前が板前になった時どん底を味わった幅だけ寿司職人として人間としての器を大きくしていくから」と。
指導者という道を選びましたが、その言葉を信じ日々頑張っております。
― 寿司職人として、私には私なりの役割がある。そう信じて進んでいます。一度決めたら立ち止まらない。諦めず、辞めず。ただ愚直に進むだけです。―
今世の中には銃や爆弾、薬物を持ち込む人がいますが、私は世界中に寿司を持ち込み、今を生きる世界中の人々が寿司を通じて笑顔で元気になるような世の中にしたいです。
【小川洋利氏インフォメーション】
国際すし知識認証協会 http://www.sushi-ssi.com/
World Sushi Cup 2017 http://worldsushicup.com
- 2017年10月3日(火) TBSテレビ・夜7:00~ ぶっこみジャパニーズ9
http://www.tbs.co.jp/bukkomi-j
内容 ※予定
◆寿司編
オーストラリア・タスマニア島でとんでもない寿司屋を発見!
寿司がオーストラリアでおなじみのあの動物の形に!?日本ではあ
そんなダメな寿司屋にカリスマ寿司職人の小川洋利が正体を隠して
キャラ弁グッズで作るハチャメチャ寿司修業に小川は耐えられるの
そして生魚をあまり食べないタスマニアの人たちに小川の作った本
◆空手編
いまや世界各国で行われている日本が誇る武道「空手」。しかしア
道場主はブルース・リーに影響を受けて空手を始めた衝撃のキャラ
道着はピンク、ネイルをしたままで OK!まさかの金的攻撃や武器まで使用!
番組初の現役女子大生、10代の達人・菊川結衣は屈辱の空手修行
さらに日本人も意外と知らない空手の作法や技術も学べます!
◆アニソン編
世界中を席巻するクールジャパンの象徴「アニメソング」。中でも
「アニソンはセクシーが命」と語るデタラメ歌手にキング・オブ・
タイでも人気の水木は「タイの正装に伊達眼鏡、帽子」で完全変装
その他にも「謎すぎるコスプレイヤー」や「昔のアニソンはダサい
「アニソンは心で歌うもの」と語る水木は、めちゃくちゃにされた
- 2018年1月14日 プロが伝授する寿司入門講座 (池袋コミュニティカレッジ)
http://cul.7cn.co.jp/programs/
- 2018年1月20日・21日 美味しくなぁれセミナー第2弾にて、『カリスマ寿司職人・小川洋利先生の、寿司を100倍楽しむセミナー』を開催。
食と空間情報サイト「美味しくなぁれ」第2弾企画
「カリスマ寿司職人・小川洋利先生の寿司を100倍楽しむセミナー」開催!
- セミナー資料 ⇒ お客様向けセミナー案内
- 14:00~16:00 6,000円
小川先生のデモンストレーションでセミナー展開飲食スペース プロジェクター前でデモンストレーションを実施。
飲食付交流会あり
小川洋利アメブロ 寿司・刺身・上達法
https://ameblo.jp/ogachin1107/theme-10060647091.html
※)1月14日のセミナー(プロが伝授する寿司入門講座)は、直接上記URLからお申込み・お問い合わせをお願いいたします。
※)1月20日・21日のセミナー詳細は9月30日に詳細ご案内いたします。
当記事・1月20日・21日セミナーのお問い合わせは、 yokohamaviaggio@gmail.com までお願いいたします。
横浜ヴィアッジオ次の記事 2017/9/11掲載 横浜運河パレード進捗情報