アーティストインタビューVol.6
お弁当・アニメーション作家宮澤真理さん
― 本物のお菓子でできたアニメーション
「Decorations」が世界中を駆け巡るまで ―
絵本や児童文学にも言えることだが、良質な映画やアニメーションが与えてくれる、子どもの想像と夢を育む力は計り知れない。
筆者の場合は、ディズニーアニメーションの「シンデレラ」。未だにストーリーの細部にわたり記憶をよみがえらせることができる。
シンデレラがまとう水色のつややかなドレスの質感と、優美でなめらかなアニメーションの動きには特に魅了された。
・・・素晴らしい作品には魔法がある。
大人も子どもも夢中になるような作品は、記憶の奥深いところに焼き付き、いつまでも観た人の心に残り続ける。
宮澤さんの作品「Decorations」にも、そんな魔法があるように私は強く感じている。
大人になって知った人にとっても、まるで幼いころに観て楽しんだかのように、記憶の奥深いところに、「Decorations」は届いてくれるのではないだろうか。
今回のインタビュー記事を通じて、より多くの人に宮澤さんの作品を知ってもらえたら。そんな想いをこめて、今回、宮澤真理さんを横浜にお招きし、お話を伺った。
第1回 作品の素材は本物の「たべもの」たち。
デジタルの分野で実績を積みあげたデザイナー、宮澤真理さんが到達した新境地、
「お弁当・アニメーション作家」
世界を魅了する良質な作品が生まれる、意外なきっかけとは ― ?
国際映画祭を中心に、今世界中が注目するお弁当・アニメーション作家 宮澤真理さん。
「デジタル」から「アナログ」の世界に移行した意外なきっかけについて、これまでのキャリアを振り返りながら、お話いただきました。観る人にしっかりと伝わる、「日常のぬくもり、食の持つ普遍性」は、アニメーションを見方につけて動きだし、国境を越えて世界に羽ばたきました。宮澤さんの豊かな発想力と独創的な世界観が育まれた軌跡をたどり、今回横浜Viaggio初のシリーズ(全4記事)にて、宮澤作品が多くの人に愛される理由を探ります。
ショートフィルムアニメーション「Decoarations」スチル写真
宮澤真理さん紹介
1983年日本大学芸術学部美術学科卒業。
2014年東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻修了。
2000年までコンピュータゲームのグラフィック制作に従事。2002年から食品でアートを追求するお絵かきお弁当を発表。銀座、梅田で個展開催。2007年よりJ:COMにて食品を使ったショートアニメを公開。
Decorationsで第18回文化庁メディア芸術祭 審査員推薦作品、第31回シカゴ国際子ども映画祭 子供アニメーション部門グランプリ、トロント国際子供映画祭2015 最優秀短編アニメーション賞などを受賞。
活動歴・実績
http://www.e-obento.com/activity
「Decorations」受賞・上映歴
http://www.e-obento.com/decorations/%E5%85%A5%E8%B3%9E%E3%83%BB%E4%B8%8A%E6%98%A0-award-screening/
「Twins in Bakery」受賞・上映歴
http://www.e-obento.com/twinsinbakery/award-screening
公式ウェブサイト 「e-お弁当作っちゃいました!」
※)下記画像の数々は宮澤さんからお預かりしたお弁当シリーズです。全4回の記事掲載の中で、引き続きたくさんのお弁当シリーズ画像を掲載させていただく予定ですので、お楽しみにしてください。
盛島 : 宮澤さんは、お弁当・アニメーション作家として活動されていますが、現在に至る経緯を教えてください。まず大学は日本大学芸術学部を卒業されていらっしゃるようですが、大学から現在までのご経験を中心に、お話いただけますか?
宮澤さん : もともと私は、本物の食材を用いてアニメーションを作る現在のような、いわゆる「アナログ」の分野にいたのではなく、どちらかというと、デジタルで経験を培ってきました。日本大学の芸術学部ではグラフィックデザインを学んでいました。
精密な図面のようなイメージの絵を描いたりしました。そのときにこれをコンピューターで描いたらどうかと思い、CGの研究所 があるところに就職したいと思い、最初の就職を決めました。実際、研究所があると聞かされ就職したはずが・・・。ふたを開けてみたら、私のイメージしていたような研究所という立派なものはどこにもなくて・・・。(笑)それがデジタルの分野で経験を積む始まりです。いわゆるグラフィックデザインという分野に入ったわけです。
盛島 : デジタルご出身なんですね。意外です。
宮澤さん : そうなんですよ。本当に今と真逆の世界ですよね。・・・研究所目当てで入ったので、就職したはいいが、内心がっかりしながら仕事していました。でも入ったからには仕方がない。3年は頑張るか!という感じに。その後転職こそしましたが、10年はデジタルの業界にいたかなぁ。そう思うとデジタル、長いですね、実は私。(笑)
盛島 : デジタルの分野からスタートされ、でもどうしてそこから、お弁当作家に転身されたのでしょうか。そして後にアニメーションの分野へ飛び込まれると思うのですが、いったい何があったんでしょうか?
宮澤さん : 転機はバブル崩壊。メディアも何も、それまでの華やかな時代、風潮から一変して、「節約」を謳うようになったり。そもそもの始まりというか、きっかけになったのが、その時代です。
盛島 : バブル崩壊、そして節約がきっかけでお弁当作家に転身されたんですか?どういうことなんでしょう(笑)。
宮澤さん : 世の中それまでは、豪華で贅沢な物を好み、求めていたように思います。私の仕事もコンピューターがツールなわけだから、どんどん良いソフトが開発され、次から次に新しく出るソフトをためし、使いこなす状況に置かれます。そうすると何と言うのでしょう。その便利なツールを使いこなすために、仕事をしている、というか、何かを表現するのに、せっかくここに新しい便利なものがあるのだから、使わなければ。という気持ちでいつしか仕事をするようになっていました。本末転倒、という感じとでも言うのでしょうか。それがバブル崩壊で、今までの価値観とはがらりと世の中が変わり・・・。どこかのワイドショーが言ったんです。「これからは節約のために毎日お弁当を作ってみてください。1年お弁当作りを続けると、節約した分で海外旅行に行けるようになりますよ!」お茶の間の主婦に訴えかけるようなインパクトのある話題な訳ですよ、節約のためのお弁当作りなんて。それが、そもそものお弁当作りとの出会いだった訳です。(笑)ちなみに私、当時お料理があんまり得意じゃないにも関わらず、お弁当作りを始めたんです!
盛島 :デジタルのお仕事をされていて、そこにお弁当作りがピンと来たんですか?
宮澤さん : いえいえ、まだそこではお仕事にはつながらないのですが、でも、ワイドショー見てピンと来たんです。「これだ!」って。この時点でのピンと来たという点は、あくまで生活に節約を取り入れて、家族のために、お弁当を作る、という部分でのことなんですが。そもそもの始まりという意味では、本当にこの時ですね。
盛島 : お昼ごはんを手作り弁当に変える生活が始まり、それが後に、お仕事の分野にも影響する。専門分野をデジタルからアナログに移行するほどの何かを見出すきっかけがあったのですね。お弁当・アニメーション作家の今につながるような。
宮澤さん : そうです。ちなみに私の夫が「食べる係さん」、私が「作る係さん」。我が家ではそう呼びあっているんですが、先にも言った通り、それまで私は、あまりお料理が得意ではなく、どちらかというと苦手でした。とにもかくにも「食べる係さん」に、お弁当を作ってあげる毎日が始まりました。
でも私の場合、むしろお料理が苦手だったことこそが、今の職業につながったんじゃないかなって思うこともあります。
苦手だったからこそ、続けられた。つまり工夫や努力の余地がそこにあったんですね。
料理が上手で特に悩むことなくおいしいお料理が作れてしまったら、いろんな風に、わざわざおいしく見せようと気を配り、食べることを楽しんでもらえるような、工夫や努力なんてしなかったのかもしれません。
悩み、考えなくてもはじめからできてしまうんですから。
話を戻して、お弁当作りを続けていて、3か月間くらいは、毎日同じメニューのお弁当を出し続けたりしていました。
「食べる係さん」が、おおらかで特に何も言わないのをいいことに。でもそれにかまけてお弁当作りしていたら、自分は1年後でもその先でも、同じ内容のお弁当を出し続けてしまう。あるとき、はたと気づいたんです。
そういうのって、作っていても本当はつまらないんです。そんなの良くないですよね。
どうせお弁当を作るなら、作る側も食べる側も、楽しくなくちゃ。
そこでもっと研究して工夫して、美味しいお弁当を作れるようにしようって、思いました。その時から私は、お弁当の写真を撮るようになり、お弁当作りにちょっとずつ工夫を凝らし、努力を重ねるようになっていったんです。
・・・1年お弁当作りを継続してみると、さすがなもので、いろんなことが上達していたんです。
どんなにお料理がへたっぴな私でも、お弁当作りのコツなんかが、自分なりにわかるようになったわけなんです。
「これならやって行ける!」そう思うまでになりました。
それが本当の意味での転身につながったんだと思います。
盛島 : お弁当・アニメーション作家の積み上げられた準備期間が、そこにあったのですね。
宮澤さんのお弁当作家の原点とも言うべき、お弁当づくりのきっかけは、時代の潮流の「変わり目」の産物だったようです。
そして今度は、彼女のお弁当づくりそのものが、後に時代の潮流の「さきがけ」となるのでした。
宮澤さんは、ホームページに日々したためたお弁当の写真を掲載しました。するとまもなく、投稿希望のお弁当の写真が集まり始めました。そして宮澤さんのサイトは、日本中のお弁当作りの主婦が集まるコミュニティの場にまで発展していくのでした。いつしか宮澤さんは人気ブロガーに登り詰めることになります。
「お絵かきお弁当」としてふくらみ、お弁当のキャラクターたちが動き出す、アニメーション技術を取り入れるまでに発展する宮澤さんの「お弁当作り」について。
詳しくは、第2回インタビュー記事掲載にてご紹介いたします。
次回予告 (2016年4月中旬掲載予定)
第2回 テーマ
「独創性」と「シズル感」の共存を可能にしたのは、宮澤真理さんの少女時代とプロとしてのキャリアが導いた本物志向だった。
― お話の続きは、いつも頭の中で繰り広げられている ―
― 温度や匂いまでもが伝わってきそうな「シズル感」を生み出しているもの ―
お楽しみに。